異例の全国一斉休校。 わたしたちに、「そのとき」起きていたこと——。
教室風景
 [監修]中原淳(立教大学教授)  [編著]田中智輝・村松灯・高崎美佐  学校がとまった。教師たちの挑戦が始まった。
「そのとき」、生徒には、保護者には、家庭には、何が起こったのか。
「そのとき」、学校では、どのような意思決定がなされ、教員は何を思っていたのか。
「そのとき」、NPO法人などの、学校でもなく、家庭でもない機関は、どのような教育支援を行えたのか。
 
立教大学共同研究[学びを支えるプロジェクト](代表:中原淳)は、新型コロナウイルスの感染拡大と同時にただちに企画され、感染症対策としての「全国一斉休校」渦中の生徒、保護者、教員、NPO法人など、あらゆる当事者の証言とデータ分析による実態把握を行いました。
新刊『学校が「とまった」日』は、その調査結果をまとめ、休校措置によって子どもたちの生活や学びにどのような変化がもたらされたのか、その実態を明らかにし、学びを支える教育関係者が、今後、予測不可能な状況下でも学びとめないためには何が必要であるかを対話し、さらに行動していくための契機となることを目的としています。
 
(*以下、調査結果を踏まえ、見えてきた課題と今後子どもたちの学びを支えていくために必要な要件をまとめた第4章から一部抜粋して紹介)

学びを継続できた子の共通点

 

本書では、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県を主たる対象とし、①質問紙調査(高校生および小中高生の子をもつ保護者)と、②インタビュー調査(教員、中高生、保護者、NPO法人スタッフ)の二つ(いずれもインターネット上)で実態把握を行った。その結果、学校がとまっても、学びを継続できた子の特徴が見えてきた。

 

❶ 生活リズムを大きく崩さなかったこと
狭義の学びである「学習時間」、広義の学びである「成長実感」の双方に、学校に行くときと同じ生活リズムで過ごしていることが影響を及ぼしていた。
学びを続けるにはそのための時間が必要である。個人差はあれど規則正しい生活をすることが活動の基盤になっていたのは、学校が「ある」ときも「ない」ときも変わらない。「成長実感」を生み出す「余白」のある時間、「何もやることがない」という感情は、生活リズムがある程度保たれているからこそ生み出されるものであろう。
 
❷ やることが把握できていたこと
学校からの連絡事項が確認でき、課題やオンライン授業などやることが把握できていれば、それに取り組むこともある程度できていた場合が多い。また、自分なりにやることを見つけて取り組むことで、新たな発見や興味・関心につながるなど、急な休校でできた時間を活用した取組とそれによる成長を感じられていることが確認できた。子どもにとって「やること」がある状態は学びの継続そのものであったともいえよう。
 
❸ ストレスを解消する方法があったこと
急に学校に行けなくなったこと、人に会えないこと、外に出ることを自粛しなければならないこと、感染に気をつけなければならないこと、一人でのんびりできないこと、楽しみにしていた学校行事がなくなったこと、先の見通しが立たないことなど、休校措置と外出自粛にともなうストレスは普段に増して多く、これらのストレスをなかったことにすることは非常に困難だっただろう。そんな中で、なんらかの方法で他者とつながりをもちながら、ストレスを解消・発散できていた場合、ストレス反応は低く、身体的にも精神的にも比較的良好な状態であった。
 
これら3つのポイントは、相互に関連し合っているということも重要な視点である。やることがあるから朝起きる、朝起きるから大幅な生活リズムの崩れは防止できる、それによって心身ともに健康でいられるというようなサイクルが回っているということである。
それは、一つ上手くいかなくなるとほかも上手く回らないという状況に陥りがちということも意味している。
 

子どもの学びをとめない学校、教師たち

 

学校は子どもの学びを支えることにおいて中心的な役割を担うべきものである。しかし、この度の休校措置においてなお、子どもの学びを支えるという役割を果たし続けることは、大半の学校にとって困難な挑戦であったことと思われる。
今回の休校は、ほかの危機的なケースと同様に突然に始まったが、対策の方針も、学校再開の見通しも明らかにされないまま長期化したという点で、前例のない難しさを抱えていた。これほどまでに不確実な状況の中でもその役割を果たし続けるために、学校にはどのような対応が可能であったのか。

 

■子どもとの関わりを切らない

 

本書の質問紙調査によると、学習時間の確保との関連がみられたのは、教員とのコミュニケーションをできていると感じられるような場合である。インタビュー調査からも、休校中、教員が様々な手段で子どもとコミュニケーションを試みていたことが明らかになっている。
例えば、学校のWebサイトでの情報発信、教科書や課題の配布、オンラインツールを用いたホームルームや授業の実施、電話連絡や家庭訪問などでやりとりなどである。だが、高校生調査の結果では、学習の継続において重要なのは、コミュニケーションの手段(何で伝えるか)や内容(何を伝えるか)ではなく、頻度(どれだけつながるか)であったことが示唆されている。

 

元気にしてる?」「次の課題はこれだよ」といった何気ない声かけでもかまわない、「教員が動いてくれている」「自分に関わり続けてくれている」と子どもが感じられることが、何より大切であったといえるだろう。
一方で、学校や教員がいくら情報を発信したとしても、子どもが受け取らなければ「コミュニケーション」とはならない。調査分析から明らかになったのは、休校前に学校において教員や友人と関係を築けていたかが、休校中のコミュニケーションの成立に影響を与えているということであった。子どもの学びにとって重要な役割を果たすのは、自分を気にかけ、学びに伴走してくれる「私の先生」の存在なのではないか。
この点と関わって、高校生調査において、休校中に教員とのコミュニケーションができていないと回答した生徒が全体の60%を超えているという結果は看過できない。
                 
図 教員とのコミュニケーションができている割合
(※【できていない】【あまりできていない】と回答→「できていない」として集計、【まあできている】【十分できている】と回答→「できている」として集計)
 
こうした結果は学校が再開した今だからこそ、学校や教員と生徒との関係性を問い直すことの必要性を示唆しているようにも思われる。
 
■教員の裁量と情報共有がカギ
 
前例のない事態において、なんの方針もなく各校がそれぞれに対応すれば、大きな混乱をもたらす。俯瞰した立場からの指示が重要であることは言うまでもない。だが他方で、予測不可能な危機を前にしたとき、指示を待つことがかえって事態を悪化させることがあることを私たちはよく知っているはずだ。
これまでのマニュアルが想定していない状況におかれている中で、新たにコンセンサスを形成し指示が下されるまでにはあまりに時間がかかる。そして、学校現場では、そのかかった時間の分だけ対応が遅れるということになるだろう。
 
このように見ていくと、今回のような前例も先の見通しも立たない休校においては、指示やコンセンサスを前提とした対応が、「初動」を遅らせる一因になったことが推察される。
5月からのオンライン授業の本格実施に向けて動いていた、ある管理職は、「どのツールを使うかなど、学校全体でコンセンサスをとる時間はない」ため、各学年の現状に応じて「手続きにのっとらずに独自にやる」ほかなかったと語っていた。同様に、各教員がそれぞれにオンライン授業の試みを進めていた学校の先生のインタビューからは、職員会議が方針決定というよりは、報告、情報共有に重きをおくものとなっていたことがうかがえる。
 
こうした事例に鑑みれば、前例のない非常事態において重要なのは、指示やコンセンサスではなく、各教員の裁量であり、その裁量を認めた上で報告や情報共有をしっかりと行うことであったと考えられる。とはいえ、裁量は非常事態において、もてと言われてもてるものではない。学校が「とまった」ときに教員が動きだせる体制を整えるのは今以外にはないということだろう。
(続きは本書で)

今回の新型コロナウイルスのみならず、災害と隣り合わせのこの国で、たとえまた学校がとまったとしても、「学びをとめない」ためには何が必要なのか。これを吟味し、動き出すのは今、まさにこの瞬間であると言えます。

本書で示すデータと事例の数々が、読者の方々にとって何があろうとも「学びをとめない」ための作戦会議の「対話」を促すことを願ってやみません。

2月1日発売!

再び、学びをとめないために、作戦会議をしませんか。

東洋館出版社